がんからの回復

病名「びまん性大細胞型 ノンホジキン 悪性リンパ腫」。 寛解14年。この夏、がんを「卒業」しました。

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ありがとうございます。

覗いていただくと、まいにちあれ食べたーあそこ行ったーなど、のんきなことばかり書いておりますので、一度ざっくりと既往歴についてまとめます。おつきあいください。

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病名は、「縦隔原発 びまん性大細胞型 ノンホジキン悪性リンパ腫」。
白血病などと同じ、血液のがんです。

2002年11月に発覚。
当時、第二子の妊娠中。
出産予定日は2003年1月末でした。

2002年の秋、咳が出始めました。
かぜを引いたと思い、産婦人科で弱い風邪薬を処方してもらい飲んでいました。
しかし、咳はどんどんひどくなり、おさまる様子がありません。
さすがにこれはなにかおかしいということで、呼吸器内科を受診。

妊娠中だったため、お腹をカバーしてレントゲンを撮ったところ、右の肺が真っ白。
右の肺いっぱいに、水が溜まっていることがわかりました。

そのまま緊急入院。
原因を探る中で、右の鎖骨下にでてきた腫れを切って生検。
左右の肺を仕切る”縦隔”というところを原発とする、悪性リンパ腫であることがようやくわかりました。

発覚当時、胸部の腫瘍の大きさは、約10.5センチもありました。
この大きさの腫瘍があり、右肺に水までたまっているのに、よくふつうに生活していたね、と先生方にびっくりされました。

12月に入り、お腹の子が2,000グラムを超えただろうことが確認できました。
幸いお世話になっていた病院にはNICU(小児用ICU)があり、なにかあってもすぐに対処できる環境が整っていたことから、予定日よりも二ヶ月ほど早く、帝王切開で出産。

このとき生まれたのが、いま中学二年生になっている娘です。

当時2歳の息子と、生まれたばかりの娘は、夫の実家で預かってもらうことに。
わたしは、出産後の回復をまち、抗がん剤による化学療法を開始。

悪性リンパ腫の当時の典型的な治療であった「CHOP」をはじめ、さまざまな抗がん剤の投与をうけましたが、なかなか腫瘍は小さくならず、入院は9ヶ月近くにもおよびました。

最終的にクリーンルームで「末梢血幹細胞移植」という自家移植での治療までおこないましたが、MRIの写真では結局腫瘍の影は消えきらないまま。
主治医によると、当時まだ5センチ強の影が写っていたとのことでした。

しかし、治療の影響での体力のおとろえも激しく、もう入院でできることはすべてやったということで2003年7月退院。
退院後の一ヶ月間、通院で放射線治療を受け、これですべての治療が終了。

以後、結局消え切らなかった影がふたたび大きくなってきていないか、再発はないかのチェックのための検診を、ずっと受けてきました。

今年の夏、ついにその検診ももう来る必要はなしと言われ、晴れて卒業!

嬉しいです。

消え切らなかった腫瘍の影に追いかけられているような気持ちで過ごしていた日々は遠く、おかげさまで今日もこうして元気です。

14年前、病を得てあらためて自分自身を振り返ったとき、自分がいかにいろんなものを中に抱え込み、持ちすぎてきたかを痛感しました。

抑え込んだ感情、自分をないがしろにする思考の癖。
恐れ、不安、怒り、かなしみ。

そこからひとつひとつ、手放しつづけてきて、以前にくらべてずいぶん身軽になったいまがあります。現在も自分の「余分」をつねに手放し中です。

もしいま、病を得て、苦しみや不安や悲しみでいっぱいになっている方がいたら。

余計なものや重たい感情を手放し、削ぎ落とし、そして、自分がただただ嬉しくなることをしましょう。今日もあすも明後日もずっと。自分がとにかく楽しく気持ちいいと感じられることを。羽が生えたように軽い気持ちになれることを。

その積み重ねこそが、生きているということなのだろうと、わたしは思っています。

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