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すっきり、さっぱり。

まいにちを自由に、ごきげんにくらす。

わたしのミニマム志向の原点本 『ウルトラライトハイキング』 著)土屋智哉

ひさびさに気持ちよく晴れたいちにち。
ほんと太陽って、ありがたい。

布団を干しながらぼーっと、そもそもわたしが自分なりのミニマム&シンプルを模索しはじめたもとはなんだったっけ、と考えていました。

TwitterでフォローさせていただいたHiking minimalistさんのブログを拝見していて思い出しました。おそらくわたしにとってはこの本、ここからだと。

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ここ数年、とにかく暇さえあればひとりであちこちの山にでかけていっては、とことこ歩いていました。

もともと子供のころから悲しいほど体力がない上に、30歳あたりで9ヶ月以上も入院するような病気をし、治療の影響でからだが壊滅的にぼろぼろになっていたこともあり、なにをやっても情けないほどすぐ疲れちゃう。

だから山を「登る」んじゃなくて「歩く」。「山登り」じゃなくて、「ハイキング」。

地図をみて、アクセスをしらべて、電車にのって、山道を歩いて。
旅というか、どこかへむかって動いている状態が好きなのはずっと変わらないようで、それがたとえ「ハイキング」レベルであっても、わたしにとってはたのしくて仕方がありませんでした。

ただ、ハイキング程度といえど、自分ひとりだけで山にはいる以上はきちんとそれなりの装備を携帯していくことが必要。

ヘッドライト、ホイッスル、ライター、リペアキット、簡易救急用具、ツェルト。
水もすこし多めに。
行動食もすこし多めに。

ひとつひとつは決して大きくないものなのに、積み重なるとやっぱり重くなる。体力のなさを痛感している身として、装備をそろえるときは軽さとコンパクトさを重視し、自分なりにかなり考えて選んでいました。

そしてその過程で、実は山を歩く、登るというなかにもカテゴリーがあり、「ウルトラライトハイク」という考え方があることを知りました。



この本にはそのときに出会いました。
日本における「ウルトラライトハイク」の先駆者、土屋智哉氏による本。

その中で、基本的な捉え方として
"水、食料、燃料などの消費材を除いた重量(ベースウェイト)が4〜5キロにおさまるバックパックでスルーハイクする”、
これが「ウルトラライトハイク」とされています。

が、
重さが何キロだからどうという定義はともかく、
持っているものが軽ければ軽いだけ、その分遠くまで歩ける、
持っているものがシンプルなほど、自然と深くふれあうことができる、
「ウルトラライトハイク」の基本的な思想はそこにある、
と説かれている。

・・・しびれました。

ベースウェイト4〜5キロということは、野営場所を確保するためのテントもしくはタープに類するもの、睡眠のための寝袋やマット類、食事を確保するための火器類、鍋や食器を含む道具類。これら全部あわせて5キロに収めるということです。

5キロって!!
わが家で一週間もせずになくなってしまう、あの米袋たったひと袋の重さです!!

工夫し、知恵をつかえば、5キロのバックパックで文字通りほんとにどこにでも行けて、どこででも生きていけるんだと想像したら、なんだかものすごいときめきを感じてしまいました。

へなちょこですが、テント設営も、地べたに寝るのも、拾ってきた小枝でウッドストーブで火をおこすのも大好き。

5キロの荷物を背負ってアメリカ大陸を横断することはいまのわたしには絶対的に無理ですが、5キロの荷物にあるものでここでしばらく生活してみろ、といわれたとしても拒否感はまったくありません。


持っているものが軽ければ軽いだけ、その分身軽に生きていける。
持っているものがシンプルなほど、生きることやくらしに対する考察が深くなる。

「ウルトラライトハイク」の思想、これはわたしの中で、そのまんま「ミニマリスト」思想です。


実際の生活のなかでは、"一見必需品ではないもの”たちも、まだまだ自分のくらしのうるおいとして大切に持っていたい。そこを削ぎ落とす必要性はまだ感じていません。

でも、「これだけあればわたしは生きていける」というベースラインがあって、ほかはいつでも手放すこころの準備はできていると思える。そして、軽い荷物で身軽に、シンプルなもので知恵をためしながら、自分なりに生きていけると思える。

それだけでなんだかすべて大丈夫な気がしてくる。

これが、わたしが自分なりのくらしのミニマムをもとめる理由なのだと思います。